【現在は、過去と未来を解く鍵である】

米沢の上杉鷹山について、数回にわたって紹介しています。

舞台は、いつも大変お世話になっている、「山形県米沢」(^_^)

上杉謙信ゆかりの名門「上杉家」は、家康によって米沢へ移されました。
かつての栄光も次第に薄らぎ、米沢藩は、江戸時代中期には、
破産寸前に追い込まれていきました。

この危機を救ったのが、17歳で藩主になった上杉鷹山(10代米沢藩主)です。

なぜ、米沢藩が、莫大な負債を抱えるようになったのか。

年間の支出が、収入の2倍以上もあり、
足りなくなったら安易に借金を繰り返してきたから、と言われます。

ではなぜ、支出を抑えられなかったのか。

大名としての格式にこだわり、藩主や家臣が、見栄や惰性で、
昔のままの生活を続けてきたのが原因でした。

現在は、過去と未来を解く鍵である。

このままいけば、藩の財政が破綻するのは時間の問題。

今、何をなすべきなのか。

鷹山は、まず、自身が経費節減の手本を示しました。

藩主の生活費を、これまでの7分の1に抑え、
食事は一汁一菜、衣服も高価な絹を使わず、
すべて粗末な木綿で作らせました。

そのうえで、家臣にも節約を命じたのです。

主君の日常を見ているので、
家臣たちも心から従うようになっていきました。

さらに、年中行事の中止、餞別(せんべつ)や祝い
などの贈答の禁止、慣例の見直しなど、
不要、不急の支出を大胆に削っていきました。

しかし、急な改革に反発し、
「これでは上杉家の体面が保てない。元に戻してもらいたい」
と一部の重臣が結束して抗議してきました。

体面を気にしてきたから、藩がつぶれようとしているのに、
まだ分かっていない。

鷹山は、少しもひるみませんでした。

非難が的外れであることを、一つ一つ証明していき、
改革にブレーキをかける者には、重臣といえども厳罰を与えたのです。

しかし、厳しいばかりではありません。

鷹山は、村の有力者に、次のように語っています。

「百姓は、日に焼け、泥にまみれて田畑を耕し、
 世の宝を生産している。
 その苦労は大変なものだろう。
 せめて一年のうち何日か、
 みんなが集まって酒を飲み、遊ぶことまでは禁止しない。
 人間は、いつも張り詰めた弓のようにしていては、
 続かないものだ。
 休日と決めた日は、思う存分、遊んでよろしい。
 ただ、正直を守り、ぜいたくはやめ、
 農業に精を出すことを忘れないでもらいたい」

率先垂範で努力し、皆の労を労い、共に、真面目に頑張ろうと
呼びかける姿勢に大変心を打たれます。

仏教の根幹は、因果の道理。

蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は必ず生える。

現在の自己をみつめ、過去の行いを反省し、
明るい未来を創造する為、現在の努力を惜しまない。

これが、ブッダが説き続けられた因果の道理です。

「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。
 未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ。」(因果経)

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