【「一切法は因縁生なり」】

昨日は、皆既月食を見損ねました。。

カーナビがありながら道に迷い、、
うろちょろしていて、、気付いたときにはアウト(-_-;)

ぼやぼやしておれなかった(^_^;)

今回も、山形県米沢の偉人、上杉鷹山について紹介します。

鷹山は、迷信の撤廃にも積極的でした。

長年の習慣であっても、因果関係が成立しないものは、
一笑に付して捨て去っています。

中でも「厄年祝い」を廃止した理由を、次のように書き残しました。

「男は15・25・42・62歳、
 女は13・19・33歳。

 これを俗に『厄年』と称し、
 必ず苦しみや災いが起きるという。

 だから、厄年を迎えたら
 『祈祷して害を除かなければならない』とか、
 『親戚や友人が集まって祝えば凶が吉に転じる』
 などと言っている。

 しかし、これらは何の根拠もないデタラメである。

 厄年であろうと、なかろうと、
 人間は、いつ病にかかったり、死んだりするか分からない。

 『年』そのものに、吉凶など、あるはずがないではないか。

 善を行えば幸福に恵まれ、悪を行えば災いが起きる、
 これは道理である。

 悪を犯したり、人に危害を加えたりした者は、
 どれだけ祈っても、悪果を免れられるはずがない。

 また善に励み、人のために尽くしている者ならば、
 祈らなくても幸せを得ることができるはずだ。

 これは、極めて明らかなことである。

 私は来年、25歳の厄年を迎える。

 まず私が率先して、この悪弊(あくへい)を撤廃しよう。

 国じゅうの、該当者の祈祷料などの総額は
 莫大な金額になるはずだ。

 この無駄遣いは、何としても防がねばならない」

科学が発達した今日でさえ、厄年を気にしている人がいるのに、
江戸時代の米沢に、これほどハッキリ断言し、
迷信に左右されない生き方を貫く人物がいたとは、驚きです。

2600年前に、ブッダは言われています。

「一切法(万物)は因縁生なり」(大乗入楞伽経)

すべてのものは、因(直接的原因)と
縁(間接的要因)の和合によって結果が現れるのだよ。

これを、因果の道理と言います。

道理に合わない迷信がこの世には如何に多いことか。

一度きりの人生。

道に迷い、うろちょろして、
おかしな迷信にだまされ、
臨終に後悔のため息、、では大変。

ぼやぼやしておれません。

ブッダの智恵を学び、真っ直ぐに、私らしく、
たくましく生きてゆきたいと思います。

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