予約している人間ドックの日が近づいてきました(^_^;)
どこかに問題がないだろうか、何かでひっかからないだろうか、
と不安ですが、、行ってきます(>_<)
今回は「小鳥の医者」高橋達志郎を紹介します(^_^)
敗戦直後の東京には、狂犬病が多発していました。
人間にも感染する恐ろしい病気で、発病すれば、ほぼ100%助からない。
昭和22年6月。
「獣医師になりたい」という子供のころからの夢がかない、
希望あふれるスタートを切った高橋達志郎は、東京都の公衆衛生監視員として、
狂犬病対策に日夜、奔走していました。
そんなある日、捕獲された狂犬病のイヌの解剖中に、自分の親指を切ってしまったのです。
慌てて消毒し、18日間、ワクチンを注射し続けた結果、その副作用で下半身が麻痺。
1、2日、様子を見ましたが症状は重くなるばかり。
しびれは下半身から胸まで上がってきました。
彼は、この時の心境を、次のように書き残しています。
「自分の悲運、ピンチを知った私は、早く楽になるため、
刃物でもあれば、グサリとわが身に突き刺して死にたいと、
自殺することばかりを考えた」
肉体の苦しさは、絶え間なく続きます。
下半身がしびれて、尿意があっても排泄できず、膀胱炎に。
治療に必要なガーゼや脱脂綿さえ不足している時代。
高熱に浮かされる日が続いても、氷も手に入らない。
ところが、高橋は乗り越えました。
献身的な看護に当たってくれた母や兄、姉妹の姿に、
「自分のことを、こんなに大事に思ってくれる皆を、裏切ることはできない。卑怯なまねはできない」
の感謝の心が、勇気、元気の源となり、力が湧き上がってきたのです。
心の向きが変わると、病は、誰もが驚く程、快方へ向かい、
やがてベッドで上半身を起こせるようになりました。
次は、つかまって立つ努力を始め、何とか立てるようになったら、
歩行器を使って、必死に足を動かす訓練を続けました。
そして、昭和26年11月、ついに4年間の入院生活を終え、懐かしいわが家へ帰宅。
そんな彼は、11年後、日本初の「小鳥の病院」を設立、「小鳥の医者」として活躍してゆくのでした。
(詳しくは次回)
どうせ私の将来なんて、おしまいだ、と決して悲観してはなりません。
決められた未来はないのだよ、自分の未来は、自分の行いによって、変えてゆけるのだ、
とブッダは教えられました。
困難にぶち当たったときこそ、諦めず、感謝と努力で乗り越え、より飛躍したいものです。
ガンバ!