【「働く」とは「はたをらくにする」こと】

毎日のニュースで、熊本地震について知りますが、

今もなお、余震が続き、ご苦労なされている方々が

多くある現実。

この事実をどう受け止め、

どんな行動をとるかは、人それぞれ。
お気の毒に思う気持ちは同じでも、

具体的な対応については、色々な捉え方があるのだなぁ、、

と思い知らされます。

なるほどと感心したり、それはどうかな、

とツッコミを入れたくなったり、様々ですが、

困っている方の為に何かをしたい、、

と実行に移すほどの布施(親切)心を、

尊く思わずにおれません。
私達が「働く」ということは、

「傍(はた)を楽にする」ということ。
日々、それぞれの立場で、みんなが一生懸命働いています。
今回の地震に際し、、

サッカーの本田圭佑選手の一言。

何かを自粛するのではなく、

「こういう時だからこそ、各々に与えられた役割を

行動に移すことが求められているんじゃないでしょうか」

と、自身もイタリアで苦境の中の発言が心に残りました。

日々の生活の中で、自分にできることは何か。。

義援金は分かりやすい選択肢の一つですが、、

相手の幸せを念じ、各々が自問自答し、

自分に出来る精一杯を実行してゆけば、

何かを変えられるのではないでしょうか。

言われたからやるのではなく、

せずにおれない気持ちでやる何か。。
800年前、、祖師、親鸞聖人は、

天災、飢饉で苦悩する人々の傍へゆかれ、

ただひたすら、

苦しくとも、なぜ生きねばならないのか、

の答えを、説き続けられました。

「なぜ生きる」

苦しみ悩む方々にこそ、知って頂きたい。。

祖師を慕い、私も全力で努力します(^_^)

それぞれの分野でガンバ!

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【「働く」とは「はたをらくにする」こと】

ある日、釈尊が、お弟子達を連れて湖畔を

通りかかられると、大勢の農夫が仕事を終えて

食事にとりかかっていました。

釈尊が彼らの前に立たれると、

その中の頭らしい一人の男が、

「あんたはいつも、

そんな大勢の働き盛りの若者たちを連れて、

ブラブラ乞食(こつじき)したり、

訳の分からぬ説教などして歩かないで、

田畑を耕して、一粒の米でも

一本の野菜でも生産したらどうです」

とからかうように言いました。

その時、釈尊は、従容として答えられています。

「私もまた、田畑を耕し種を蒔き、

実りを刈りとっている労働者です」

「ではあなたは、どこに田畑を持ち、

どこに牛を持ち、どこに種を蒔いておられるのか」

と反問してくる農夫に、釈尊は、

「私は、忍辱という牛と、

精進という鋤を持って、

人々の心田を耕して、

真の幸福になる種を蒔いている」

毅然としておっしゃっています。

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