【仏法精神と富山の薬売り】

「私の出身は、富山です」

と言うと、一番多く返される言葉は。。

「富山って、どこにありましたっけ?」

マイナー県であることは否めません(>_<)。

次に多く言われるのが、

「ああ、薬売りの富山ですね」

特に、昔、青年の方々からですが(^_^;)

そうです!(^_^)

「富山」といえば「くすり屋」。

越中売薬には、300年以上の歴史があります。

医者が少なく、交通も不便な江戸時代から、、
全国を回り、貧富の差を問わず、
各家庭に薬を配置し続けてきたのが富山の薬売り。

「先用後利(せんようこうり)」
という独特のキャッチフレーズを掲げていました。

これは「先に使ってもらい、代金は後で頂く」という意味。

まず、各家庭を訪問して薬のセットを預けてゆきます。

この段階では、一切、お金を受け取りません。

半年か1年後、再びやってきて、
使った分の代金だけ受け取る仕組み。

薬を使う立場からいうと、
大変ありがたいことですが、人と人との信頼関係、
助け合いの精神がなければ成り立たない商売です。

越中売薬が始まったのは、元禄3年(1690年)に、
江戸城で起きた小さな事件がきっかけだったと言われています。

ある日、三春(みはる:福島県)の藩主が、
突然、激しい腹痛に苦しみだした。

そこに居合わせた富山藩主・前田正甫(まさとし)が、
丸薬(反魂丹:はんごんたん)を飲ませると、
たちまち痛みが治ったのです。

周りで見ていた諸国の大名たちは、薬の効き目に驚き、
「ぜひ、私の国でも販売してほしい」と頼みました。

以来、越中売薬の行商人が、
北は松前藩(北海道)から南は薩摩藩(鹿児島県)
に至るまで足を運ぶようになります。

明治時代になると、北海道の開拓で、本州からも多くの人が移住。

原始林を切り開く過酷な労働が続く開拓民にとって、
一番の不安は、病気でした。

富山のくすり屋は、そんな開拓地の隅々にまで足を運び、
住民の健康維持に貢献してゆきました。

そんな中、昭和5年、6年と、
北海道は2年続けて凶作に襲われ、
ただでさえ貧しい農民には大打撃。

苦しかったのは農民ばかりではありません。

くすり屋も大きな痛手を被りました。

しかし、薬の入れ替えに訪問しても、
食事も満足にしていない子供を見ては、
とても代金をもらうことはできませんでした。

自分の苦しいことを隠して、

「お金のことは心配せずに、病気になったら薬をのんで、
 子供たちを大事に育てなさい。
 私は富山へ帰ったら田んぼで生活できるから。。」

と言いながら新しい薬を補充して回ったと言われます。

村人を少しでも励まそうと、笑顔を絶やさず、
「越中おわら節」を歌いながら歩きました。

(越中おわら節:富山市八尾町を中心として歌い継がれている民謡)

中には富山から米を取り寄せ、
病気や飢えに苦しむ家庭に少しずつ配った人、
富山の田畑を売ってまでくすり屋を続けた人まで。

そして、昭和7年は、大豊作!

これまで滞っていた薬代が、一度に集まるようになりました。

宿まで、わざわざお金を持って礼を言いにくる人、
「他の支払いは後にして、くすり屋さんを一番先にしなければ」
と待っていた家も多くあったといわれます。

「お客さんとは家族同然のつきあい」

といわれる強い信頼関係の裏には、
このような損得を抜きにした行為があったのです。

名もなき富山のくすり屋によって救われた命が
どれだけあったことか。。

これぞ、仏法精神(*^_^*)

私も、見習って、精一杯、布施(親切)に徹し、
仏教講師の自覚を持って、すべての人に、
「仏法」という「無上の妙薬」を胸から胸へ、
心を込めて届けてゆきたいと思います。

ガンバ!

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