【「子供笑うな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ」】

米沢藩主の上杉鷹山を通しての話は一応、
今回を最後にしたいと思います。

これで8回目(^_^)

毎月通っている好きな町、山形県米沢市の偉人
ということもあり、ついつい長くなってしまいました(^_^;)

一人の人物について、こんなに多く紹介をしたのは
これが初めて。

他にもまだエピソードがあるので、機会があればまた紹介します。

恩人を大切にした鷹山は、
領内の村々に、次のような通達を出しています。

「年老いた者には、気を遣い、
 力を尽くして大切に接するべきである。
 70歳以上の者には、村の者が、皆で協力して、
 よくいたわるようにせよ。
 90歳以上の者には、また格別の心遣いをせよ」

言うだけではなく、自ら実践しました。

鷹山が、赤湯温泉へ向かった時、
(赤湯温泉:山形県南陽市にあります)
近くの村に95歳の老人が住んでいると聞いたので、
早速訪ねて労をねぎらい、祝い酒と扇子を贈ったこと
があったと言われます。

農民にとっては、驚きだったでしょう(>_<)

殿様が、敬老の精神で慰問に来るなど、
まさに「格別の心遣い」。

このような配慮を見たり、聞いたりするうちに、
親の恩を思い、年寄りを気遣うことの大切さが、
少しずつ浸透していきました。

「老人」といっても、最初から年寄りだったわけではありません。

「子供笑うな来た道じゃ。年寄り笑うな行く道じゃ」

といわれるように、自分の未来の姿でもあるのです。

親に育ててもらった恩を忘れ、会話もなく、冷たく接していたならば、

自分が年老いた時に、同じ報いを受けても文句は言えません。

仏教では、これを「因果応報」と言われます。

やった行為(因)に応じた、運命(果)の報いを受ける。

経済的に厳しい時に、心まで貧しくなったのでは、
やること、なすこと、暗いほうへばかり傾いてしまいます。

鷹山は、目前の損得にとらわれず、
まず、人間としてのまっすぐな生き方を示しました。

そこには後ろめたさがないから、心が明るく、豊かになり、
自信を持って進むことができたのです。

深刻な財政危機を乗り越えた原動力は、ここにあったのですね(^_^)

「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬなりけり」

鷹山の名言です。

まさに、この言葉どおり、改革に着手してから
33年めにして、借金のほとんどを返済し、
更に、荒廃していた米沢は、美しい農業国家に生まれ変わりました。

私心なき、まっすぐな姿勢が、家臣や領民の信用を得、
不可能と思われた改革を成功させたのでしょう。

上杉鷹山は、次のような戒めを後継者に与えています。

「国家は子孫に伝えるものであって、
 私にしてはならない。

 人民は国家に属する人民であって、
 私にしてはならない」

知識ゼロの方にも仏教を知って頂けるよう、
私も、分かり易い講座、勉強会に努め、
まっすぐに頑張ります!

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