痛ましい阪神大震災からちょうど20年。
当時大学生だった私も、40歳。。時の経つのは早いものです(>_<)
テレビでは、震災時からは想像できない程の町の復興ぶりが紹介されていました。
では、この20年、自分はどんな努力をし、何を身につけたか。
そして、これからはどうしてゆくべきか。。(^_^)
前回に続き「小鳥の医者」高橋達志郎について紹介します。
昭和22年、22歳の時、夢と理想に燃える獣医であった彼は、大病を患い、
4年間の闘病の末に退院するも、生涯、足が不自由な身となってしまいました。
外出できない寂しさを紛らわそうと、飼い始めたのが小鳥。
獣医ではありましたが、鳥に関する知識を全くもっていませんでした。
しかし、ゼロからすべてを学び始め、カナリアのヒナを孵化させることに成功。
これを機に、ブンチョウ、セキセイインコ、ジュウシマツなど、数多くの小鳥を飼育し、
そのヒナを販売して、生活の糧を得るようになってゆきました。
そんな彼の頑張りを、朝日新聞が記事に掲載するや。。
不運をはねのけ、前向きに生きている姿が反響を呼び、多くの愛鳥家からヒナの注文が殺到。
足の不自由な自分にも、仕事ができることに喜びを感じ、高橋は、ますます熱心に取り組んでゆきました。
小鳥も、人間と同じように病気にかかる。
おなかを壊したり、栄養失調になったり、骨折したり、皮膚病で羽毛が抜けたり。。。
それなのに、どこにも小鳥専門の医者はいない。
病院もありませんでした。
そこで彼は、決意!
「小鳥の病気を、前人未到の学問として体系づけ、
この新しい分野を開拓することに人生を投入したい」
(高橋『小鳥のお医者』)
10年間、地道な研究を続け、諦めずたゆまず、
病気の原因を解明しようとして解剖した小鳥の数は2000羽を超えたといいます。
孵化、飼育、健康管理、診療などの科学的な技術を身につけ、
昭和37年、家畜診療所の許可を改めて受け、
ついに悲願の「小鳥の病院」の看板を、東京の田園調布に掲げるのでした。
これが日本初の、小鳥の病院の誕生です。
平成6年、69歳で亡くなるまで、小鳥の命を守り続けた高橋達志郎。
たとえどん底に落ちても、あきらめず、他人を恨まず、
コツコツ努力して道を開いてゆく彼の生涯に心を打たれます(*^_^*)
仏教で教えられる善行に、忍辱(忍耐)と精進(努力)があります。
正しい方角に向って、耐え忍び、コツコツ努力を続ける(^_^)
「継続は力なり」
常に、忍耐と精進でガンバです!