コラム:人間に生まれてきた目的

みなさんは、毎日を楽しく過ごせていますか?「毎日を充実して過ごしてるよ!」と言える人は素晴らしいですね。きっと日々の種まきが善いのでしょう。しかし、お釈迦様のさとりの第一声は「人生は苦なり」でした。

人として生まれたからには食べねば生きていけません。食べる為には望まない仕事もしていかねばならない。また、家庭や職場での人間関係なども乗り越えていかねばなりません。そうやって皆、努力して生きているのですよね。

しかしそんな中、お釈迦様は「人間に生まれてきたことは大変有り難いことなんだよ」と教えられています。今回は、「人身受け難し 今すでに受く」というお釈迦様の有名なお言葉について、お話ししたいと思います。

人身受け難し 今すでに受く

「人身」とは、私たち人間のことです。「人身受け難し今すでに受く」とは、「生まれ難い人間に生まれることができて良かった!」という生命の大歓喜です。

私たちは、人間に生まれたことを当たり前に思ったり、苦しい時などは人間に生まれたことを恨んだり、後悔したりしていますが、お釈迦様は人間に生まれたことは大変に喜ぶべきことなのだと教えられています。

盲亀浮木のたとえ

ある時お釈迦様が阿南というお弟子に対して、「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」と尋ねられました。阿南は「大変喜んでおります」と答えると、お釈迦様は人間に生まれたことの有り難いことを「盲亀浮木の喩え」で教えられています。

「阿南よ、想像してみよ。
果てしなく広い海の底に目の見えない亀がいる。この亀が100年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には一本の丸太が浮いている。その丸太には小さな穴が空いている。丸太は風の間に間に、西へ東へ、南へ北へと大海原を漂っているのだ。
 阿南よ、100年に一度浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子にひょいと丸太の穴に首を入れることがあると思うか?」

聞かれた阿南は驚いて、
「お釈迦様、そんなことはとても考えられません」

と答えると、
「絶対にそんなことはあり得ないと言い切れるか?」

お釈迦様が念を押されると、
「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、ひょっと首を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」

と阿南が答えると、
「そうだろう。しかし、私たちが人間に生まれるということは、その盲亀が丸太の穴に首を入れることがあるよりも難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」

と教えられています。

有り難い人身

「有り難い」とは、有ることが難しいということで、滅多に無いことを言います。人間に生まれることはそれほど有り難いことだとお釈迦様は教えられていますが、私たちは「有り難い」ことだと喜んでいるでしょうか?

「何で自分は生まれてきたのだろう。。」「人間に生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくても良かったのに。。」と人間に生まれてきたことを嘆く声、後悔する声、「さっさと死んでしまいたい」と自暴自棄になる人さえあります。

それは、何のために人間に生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ苦しくとも生きねばならないのか、人生の目的が分からないからです。

人生には果たすべき目的がある

2600年前にお釈迦様が明らかにされた仏教は、生きている私たちに、人間に生まれた時でなければ達成できない本当の幸せを生涯を通して教えられたものです。

「人間に生まれてきたのはこれ一つのためであった!」と本当の人生の目的を達成させていただいた時にこそ、「人身受けがたし今すでに受く!」「人間に生まれてきて良かった!」と喜ぶことができるのです。

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