「何のために生きているのかな?」「生きる意味なんてあるの?」、、。
日々の仕事や家事、育児などで慌ただしく生活をしている中、つかの間の休息をとっているその時、仕事終わりの夜に一人でお酒を飲んで人生を客観しているその時、こんな疑問を抱くことはないでしょうか?
長く生きても80年、100年の人生。朝起きて、仕事に出て、帰ってきて寝る。休みの日には外食に行ったり、ショッピングしたり、映画を見に行ったり。そんなこんなで結婚し、子供も生まれ、子育てに専念。子供の成長を喜ぶと同時にいつの間にか50、60となっていく。
「光陰矢の如し」60年、80年と言っても過ぎてみれば一瞬のことです。
考えてみれば人間の一生など、何十億年の地球の歴史、宇宙の歴史からすればあっという間のことでしょう。今この人生において何を成し遂げたところで、何が残るのでしょうか?
「諸行は無常、これ生滅の法なり」
お釈迦さまが断言される通り、結局何も残らないのです。
ですから人生について真面目に考えている人ほど、「生きる意味なんてないよ」「好きに生きたらいいんだ」と考えています。中には、「生きるのが嫌だったら死んだってそれは自由だ」などと発信する人さえあります。
しかしお釈迦さまは、そのような無常なる人生の実相をありのままに教えられながらなお、私たちが生まれてきたのには大変尊い目的があるのだと断言されています。
今回は、そのお釈迦さまの断言であります「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」についてお話ししたいと思います。
天上天下 唯我独尊
「天上天下 唯我独尊」と聞くと、暴走族の特攻服に書いてあるのを思い浮かべる人が多いでしょう。
おそらく「この世で俺一人が尊いのだ!」と威張っている意味として使っているのでしょうが、この言葉は世界の三大聖人の一人に数えられるお釈迦さまのお言葉です。お釈迦様が、そんなこと言われるでしょうか?
「伸びるほど 首をたれる 稲穂かな」と言われるように、徳のある素晴らしい人ほど謙虚で腰が低いものです。
お釈迦様が「天上天下 唯我独尊」と言われた意味は、
「この大宇宙で、ただ私たち人間だけが果たすことのできる、たった一つの尊い使命をもって生まれてきたのだ」
ということなのです。
「我(われ)」とは私たち人間のことを言われており、それはお釈迦様ご自身のことを次の「三界皆苦 吾当安此」の中に、「吾(われ)」と仰られていることからも分かります。
三界皆苦
では私たちはどのような目的を持って生まれてきたのでしょうか。そのことについてお釈迦さまは、「三界皆苦 吾当安此」と仰っています。
まず「三界」とはこの人間界のことです。私たちの住んでいる世界を三つに分けて教えられています。
・欲界 ・・・ 五欲(食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲)のみで生きている世界
・色界 ・・・ 芸術の世界
・無色界 ・・・ 哲学や思想の世界
「欲界」とは、五欲のみで生きている世界です。五欲とは、食べたい飲みたい、お金が欲しい物が欲しい、異性が欲しい、褒められたい認められたい、出来るだけ楽がしたい、寝ていたいといった私たちの心に日々湧き上がってくる欲望です。日々この欲望に振り回されて、朝から晩まで走り回っているのではないでしょうか。この五欲のみで生きている世界を「欲界」と言われています。
次の「色界」とは、芸術の世界です。世俗的な欲望に執着するよりも、この世の美しさを発見し追求する生き方を言います。金や財、色や名誉を求める続ける人生よりも高尚な生き方であると言われています。
三つ目の「無色界」とは、哲学や思想の世界を言います。
「人の存在意義とは」
「人はどう生きるべきなのか」
「何のために生きるのか」
「なぜ苦しくとも生きねばならぬのか」
「人生かけて求めるに値するものはあるのか」
人間存在の根本問題を追求する生き方です。三界の中では最も高尚な世界と教えられています。
しかし、私たちの生きている世界、三界は「皆苦」と言われているように、どこまで行っても、どれだけ求めても苦しみから離れることができない世界であるとはっきりと教えられています。
吾当安此
そして最後の「吾当安此」とは、「吾、当に此を安ずべし」と言われています。
「私、釈迦は、苦しみの充満したこの世界において本当の幸せになり、すべての人が救われる道を説き示そう」と宣言されているお言葉です。
事実お釈迦様は、35歳12月8日に大宇宙最高の仏の悟りを開かれ、80歳2月15日にお亡くなりになられるまでの45年間、すべての人が本当の幸せになれる道一つを解き明かされていかれました。それを今日、仏教と言われ、七千冊以上の経典に書き残されています。
お釈迦様が現れられた2600年前も、鎌倉時代も、今日の令和においても、人間の本質というものは変わっていません。人として生まれ、生き、そして死んでいく姿は変わらないように、人間の本質的な苦しみの本も変わらないのです。
すべての人の苦しみの根源を教えられ、その根源を断ち切って本当の幸せになることこそが人間に生まれてきた目的であり、生きる意味であると教え続けられているのが仏教です。
それは、人間に生まれてきた今しか果たすことのできないことですから、まさに人間として生を受けている今は千載一遇のチャンスなのです。
「人身受け難し今すでに受く」のお釈迦さまのお言葉のとおりです。
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